ホテル•メガチキニ

サブアカウント:路上( mixologist2828.hatenablog.com )

スキニー・ボーイ・オン・ザ・ミレニアム

私は細い子供だった。小学生くらいの子供が互いに細いかどうかを意識することは殆どない。子供にとっては太っているか太っていないか、背が高いかちっさいか、計4つの区別しかないものだ。だから背が普通で太っていなければ、すなわち普通の子供のはずである。その中で殊更やせていると言われるほど私は細かった。細いことで社会的に損をすることはあまりない。なぜなら子供社会において重要なのは「太っているか否か」だからだ。太っていなければいじめられる可能性は低い。ちびでなければ更に低い。細い子供はそれなりに足が速かったりもするから、私は平穏無事に陽気な少年時代を過ごし、無事にやせた成人男性になった。

細い人が被る不利益は周りの人にはほどんど気づかれない。それはつまり他人に迷惑をかけずに対処できる問題だということで、つまり表面上は何不自由なく暮らしていけるということだ。それは社会生活上、好ましいことである。それでもそれは確実に生活に影響を与えている。私は、30倍に希釈した身体障害だ、と思っている。「身体障害」とは強い言葉だ。もちろん、憐れみや特別扱いを求めているわけでも不平を募らせているわけでもない。そうではなく、人と人との差異についての想像力の出発点が、私の中でどこにあったかを書こうとしている。

細いと筋肉が付きづらい。背ばかりひょろひょろと伸びて、身体組織はまったく追いつかないまま成長を止めてしまった。結果、私は極度に猫背で、不自然に長い首はストレートネック気味だ。高校生の頃、頭痛が止まらずに医者にかかると、首の湿布を処方された。最近では肩と首が凝り始めると三半規管がやられて、通勤電車に酔うようになっている。脂肪がほとんどないので、冷房が普通の人の3倍くらい効いてしまう。夏は大抵、お腹を下すことになる。熱中症になった試しはないが、働き始めてから毎年、きまって夏風邪をひくようになった。

自転車が好きで、よく乗っていた。ロードバイクを買うような本格的な趣味ではないが、レンタサイクルを借りてしまなみ海道を渡ったりしていた。自転車で海沿いの田舎道を走っていると南から風が吹いて身体が帆のように空気を受け、いくら漕いでも一向に進めないときがある。筋力の少なくても身体が軽い私は、アップダウンはあまり苦にならない。しかし表面積から受ける空気抵抗は、大柄な人のそれとさして変わらない。だからさっきまでの上り坂は意外なほど順調に登りきれたのに、わずかなそよ風に息切れしてしまうのだ。自転車競技や、あるいは駅伝などになじみがない人は、人間の身体が受ける空気抵抗の大きさは想像しがたいかもしれないが、私はなにより向かい風が苦手だ。心臓破りの坂をものともしない人も、涼しげなそよ風に大汗をかいて苦労実はいたりもするのだ。

「苦手だったもの」は今でも苦手。はた目にはちょっとした物事に見えるものに実は苦戦している、という人は多い気がする。

f:id:mixologist2828:20230829011944j:image

今週のお題「苦手だったもの」