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卵をめぐる祖父の戦争

デイヴィッド・ベニオフ 田口俊樹訳 ハヤカワ文庫NV

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「ナイフの使い手だった私の祖父は十八歳になるまえにドイツ人をふたり殺している」作家のデイヴィッドは、祖父のレフが戦時下に体験した冒険を取材していた。ときは一九四二年、十七歳の祖父はナチス包囲下のレニングラードに暮らしていた。軍の大佐の娘の結婚式のために卵の調達を命令された彼は、饒舌な青年兵コーリャを相棒に探索に従事することに。だが、この飢餓の最中、一体どこに卵なんて?――戦争の愚かさと、逆境に抗ってたくましく生きる若者たちの友情と冒険を描く、歴史エンターテインメントの傑作。 あらすじはハヤカワ公式HPより。卵をめぐる祖父の戦争 | 種類,ハヤカワ文庫NV | ハヤカワ・オンライン

ロシアは寒い。もちろん行ったことはないが、寒いに決まっている。寒さは苦手だ。床板から忍び込む底冷えも嫌いだし、体温を奪う風も、ただただ気温が下がりまくる日も嫌い。

ベニオフの描写がいちばん真に迫ってくるのは、ロシアの暴力的な寒さを書いている時だ。作者はハリウッドの業界人らしいがそのせいか、ストーリーはよく出来た冒険映画のように洗練された起承転結があり、飽きる事もつっかえる事もなく一気に読んでしまうのだが、飢餓、戦争、暴力、そして寒さが場違いに思えるほどの鮮明さで迫ってくる。このリアリティがまるで現実に入り込んだかのように大阪は寒波を迎え、私はレフ少年がそうしたように襟を立ててコートの前をきつく閉め、ビルを吹き抜ける冷たい風をやり過ごした。

語り。一人称のあまりに正直な語り口が物語に軽快さをもたらしている。尤も、こんな正直さは日常ではありえない。自分のことを語るとき、正当化したり弁解したり、つまるところ身を守る必要が必ずあるはずで、それが見られないのは、たとえばその出来事からすでに60年近く経っているような場合にしか生じないだろう。そういう意味でも祖父に語らせる仕組みが奏功していると思う。

好きな場面。冒頭、現代アメリカで、作者は祖父を訪れ、フロリダの小高い岬の上の家から暗い海を眺め、海から吹いてくる風を感じながら物語を訊く。夜の南国はじめじめしていている。せっかく南の国に来たのに、空気はぬるく、闇の中で何かがうごめいている不気味な感じがある。部屋の光は(たぶん)白っぽい蛍光灯で、虫が電気に集まってきてぶつかる。すこし不穏な空気を漂わせながら、仲のいい祖父母と孫の軽妙なやり取りがある。ところが物語が始まると読者は急に極寒の大地に連れ込まれる。極寒・白銀の、生き物の死に絶えた静けさと空襲や砲撃の轟音の世界。生ぬるい生命の世界から白くて冴えわたる死の世界へ。物語のメインステージへ急転直下、一気に引きずり込むこの対比が素晴らしかった。