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サマーウォーズ

  サマーウォーズの地上波放送を後半半分くらい見た。このアニメ映画は全く好きになれなかったが、考えさせられることは多かった。 

   俺は家族が苦手だ。もちろん自分の家族のメンバーは一人残らず大好きなのだけれど、「家族」という存在が苦手だ。家族であるというだけで何か特別な繋がりがあると思っているところが苦手だ。帰省する度に将来のことを聞かれるのも、定期的に連絡されるところも苦手、常にちゃんと三食を食べさせようとするところも苦手で、東京に来る度に俺と彼女のためにお土産を持ってきたりするのもちょっと苦手だったりする。

   サマーウォーズのテーマは大家族だ。真田幸村の時代から続く長野県上田市の由緒ある一族で、俺が見始めた時点からはその家族関係はもうわからず、長老であり家長である祖母と、中年の男女が数名づつ、主人公たち若者が数名、子供が数名。きっと核家族と個人化に対して大家族制度の復活を提案したいのだろう。家長が祖母なのは戦前の家父長制度を連想させないための工夫で、ジブリでも女系の描写が多いけれど、常套手段なのだろう。そういう表現的な問題以上に、女系の方がおおらかで家父長制の排除的な雰囲気を消せる。

   家族ベースの物語で一番割りを食うのが侘助という青年で、彼は一家の中で最も才能があり、コミュニケーションが不器用で、(才能があるかどうかはともかく)自分自身を想像させる。彼は過去に家族を飛び出し、(物語では再び戻ってくるが)最初の里帰りもうまくいかない。

   逆に主人公は自己主張が少なくて、(少なくとも観客からは)全員に同意されるような状況で初めて意を決して声をあげる。彼のように控え目で人当たりが良く、少し頼りない青年こそが、想定観客のマジョリティ(そして最後に活躍するという理想像つき)なのだろう。

   「人様に迷惑をかけるな!」「みんなでご飯を食べること」という祖母の言葉(これは真理として扱われる)や、マイルドヤンキーを中年にしたようなおじさんが圧倒的にいい人として描かれているあたりが、どうしても好きになれなかった。この家では絶対に過ごしたくないと思いながら終始見ていた。これは現代日本人の理想なのだろうか?つい最近までは一人前に独り立ちすることの方が大事じゃなかった?うまくいかない個人主義の揺り戻しの行き先は結局、家族しかないのだろうか?一番ぞっとしたのは、家族という生活基盤をベースにネットで世界中と連携する(そして世界を救う、しかし主な関心は家族を守ること)というスキームが現実的にとても上手く機能しそうなところだった。