ホテル•メガチキニ

サブアカウント:路上( mixologist2828.hatenablog.com )

路上1

昨日が最悪の1日だったからかネットカフェが寒くて眠れなかったからか知らないけれど、腿に乳酸が溜まっていた。その上退室時間を寝過ごして追加料金を取られたので今朝も最悪だな、と思う。Wi-Fiのない店でモーニングを食べてしまったので、もう一度スタバに入り直さなければならなかった。今日もベッドのダメな側から起きてしまったのだろうか。

なんだかんだで、路上に出れたのは11時半だった。中村区役所の交差点で20分くらい立っていると、経験者のお兄さんが烏森に行くといい、と教えてくれた。ヒッチハイクポイントの探し方は色々あるけれど、最も確実で手っ取り早いのは地元の人がに聞くことです。烏森に向かう通りはビルも少なく、汗が吹き出して足が蒸れる。高架下の中央分離帯で立っていると、30くらいのカップルに拾ってもらえた。ヒッチハイク最難関の1台目を拾えてひとまず安心する。

小型の乗用車のうしろの席が倒されて4匹の犬が乗っていて、そこに俺も乗ることになった。

理想の働き方とか、犬同士のけんかとか、とりとめのないことを話しているうちに彼らは長島で高速を降りたので料金所の外に降ろしてもらった。

田んぼと話中集落の家々と高速道路が夏日の日差によく映えていた。

程なくしてつぎの車は捕まった。大阪人夫婦で年は50代くらい。道の駅にはまっていて、岐阜にお墓参りをした帰りに各地の道の駅に立ち寄りながら帰っているらしい。後部座席に積んである大きなクーラーボックスの中は全部道の駅で買ったお土産だそう。彼らは四日市まで行くと言っていたが、いいサービスエリアが無かったのでそんなに進まなかった。

サービスエリアでは大抵20分も待てば拾ってもらえる。つぎの人も50代くらいの夫婦で、菰野から息子の住んでいる名古屋に行った帰りで、後ろに息子の荷物のマットレスやらなんやらが乱雑に積んであった。彼らも四日市に立ち寄るらしかったが、一つ先の御在所パーキングエリアまで乗せてくれた。御在所パーキングエリアはそれなりに規模が大きく、車も満車状態だった。ざるのきしめんが700円と、かなり法外な値段だったけれど、腹が減っているものはしょうがないし、長距離が捕まって食べる機会を失う可能性もある。

御在所は出口にガソリンスタンドがあって、その庇の影に入れてもらえた。車が多い割にあまり止まってくれる人がいなかったけれど、車が来ない時はガソリンスタンドのおっちゃん達と世間話をしていられたので(ほとんどはこのヒッチハイクのことを聞かれたから、世間話とは呼ばないかもしれない)、あまりキツくはなかった。初めは亀山から新名神へ乗りたいと思っていたが、さっぱりだったこともあり、大阪へ帰るバンのお兄さんが声をかけてくれた時にはまぁいいか、と思って乗せてもらうことにした。どうやら天理あたりを通るらしいので、そこから近鉄で帰ったっていいと思った。5時半には父親の誕生日プレゼントを買いに行くという約束をしていたので、あまりぐずぐずしている時間はなかった。

彼は名古屋で働くコーキング職人で、5年ぶりに地元大阪の同窓会のために帰っている途中。中学では全国選抜に選ばれるほど野球がうまく、高校も推薦で進学したらしい。父親も無名だけれどもプロだったそう。しかし1年生の時に肩を壊して、復帰するまで裏方に回るのが耐えられずに退学する。野球推薦の生徒は、実質、退学するしか野球を止める方法はないそうだ。他にもいろんな高校野球の裏側の話を聞いた。学科をやめた彼は、名古屋でコーキング職人になった。こちらでは高校中退で修行に入るのが早かったのが幸いしたらしく、俺と1つしか違わないのにすでに自分の会社で5-6人を使っているそうだ。俺より10年時間の進み方が速い。できちゃったではあるがいい相手と結婚して、3人の子供は野球を始めるほどには成長している。彼は、東大なんて想像もつかんわ、すごいなーとか言いながら齢25で大きな6シーターを運転する社長さんで、そっちの方が凄すぎて想像つかない。まったく、同じ言葉で喋ったいるのが不思議なくらい遠い世界に思える。

 そのうち、共に建築分野であることに話題は飛んで、旅の後半はほとんどが施工管理の現場監督への悪口になった。ぼんやり相槌を打ちながら、この業界は大変だなあと思っていると、天理のサービスエリアに着いた。15時半だった。

 親と夕食の予定があり、17時半までに京都に帰りつかなければならなかったので、ヒッチハイクはここまでで諦めて、下へ降りる。NEXCO西日本管内のパーキングエリアは一般道から歩いて上がることが出来る。グーグルマップを調べると最寄りの駅まで2-3キロであったので、歩くのが早いだろう。降りたところは田園地帯のど真ん中だった。田んぼや畑の中に条里制の名残のある古い集落が点在していて、畑では定冠詞をつけたいくらい見ての通りの農家のおばちゃんがぽつぽつ、農作業をしている。

  田んぼ沿いの道は暑かった。それに幅員が十分でなく、スレスレのところをそれなりのスピードで車が通り過ぎる。しかしどうやら間違っているのは歩いている俺の方で、あわよくば駅まで、と、親指を立てながら歩いていると、車内からの怪訝な目線をしっかり感じる。

陽が少し傾き始めた奈良盆地は、晴天だったこともあってとても綺麗だった。最初に日本に政権を立てた人たちがここにたどり着いたのもわかるきがする。

 結局、近鉄天理線の小さな駅までの2.5kmを乗せて行ってくれる車はおらず、自ら歩き通すことになった。16時に俺は前栽駅に到着して、この日の路上の旅は終了した。

 

夜中だから思うこと 4/10

少し前からあいみょんがブレイクしている。あまりちゃんと聞いたことがないけれど、「君はロックなんか聴かない」というタイトルに惹かれてその曲は聴いた。ロックなんか聴かないと言うわりにストレートなJpopだなと言うのが第一印象だったが、ストレートなポップはベタすぎるくらいストレートなロックへの憧れを歌った歌詞をのせると逆説的にとてもロックに聞こえた。

‎あいみょんの"君はロックを聴かない"をApple Musicで

 

ラブリーサマーちゃんというアーティストにいまハマっている。彼女が聴いてきて、憧れてきた(と思われる)音楽は僕がずっと憧れてきた音楽で、その限りない愛をここまで美しい音に昇華させているのを聴くと胸が熱くなる。

オアシスのロックンロールスターのカバーは、「俺はロックンロールスターだ」という元歌詞が、「私はロックンロールスターってタイプじゃないけど、憧れは消えないよね。いつかなりたいよね。」っていうふうに翻訳されて聞こえてくる。この姿勢が逆説的にすごくロックに聞こえるのは、あいみょんと同じ構造。

‎ラブリーサマーちゃんの"Rock 'n' Roll Star"をApple Musicで

 

ほかにも、Helsinki Lambda ClubのLost in supermarket や、かなり遡るとミスチルのロックンロール、もしかしたら丸の内サディスティック(貼る必要はないよね)も同じ回路を持っているんじゃないかと思う。

https://itunes.apple.com/jp/album/lost-in-the-supermarket/973030258?i=973030901

https://itunes.apple.com/jp/album/%25E3%2583%25AD%25E3%2583%2583%25E3%2582%25AF%25E3%2583%25B3%25E3%2583%25AD%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25AB/1375007287?i=1375007482

 

日本のロックの逆説的回路、僕は結構好きです。

思いつきの備忘録 4/10

 最近の流行り言葉、クリエイティブについて思うこと。

 マクロなレベルにおいてクリエイティブである人やクリエイティブであること、という言い方はあまり意味をなさないと思う。新幹線が既存の技術の組み合わせで作られたのは有名な話たが、世の中のクリエイティブな事業や企画のアイディアは往々にして他の人たちのもっと小規模な取り組みだ。新規企画に潤沢な資金と時間、人材を割くことをクリエイティブと呼ぶなら、それでもいいだろうとは思う。

 むしろもっとミクロなレベルにおいては、クリエイティビテイは一種の能力として捉えられるものであると考える。クリエイティビティが求められる分野に3年ほど身を置いてみて感じることは、クリエイティビティとは人に言われてもいないことを継続する力だ。特に価値を認められず、あるいは尻を叩かれることもないこと、例えば絵を描くとか、ブログを書くとか、けん玉を練習するとか。誰に干渉される必然性もないものを、それでも長年続けられる人はどの分野でもある程度クリエイティブな人と呼ばれているように思う。

文章の下書き4/10

  角を曲がって、ヨンカー通りへ出て私は驚いた。平日の昼間にも関わらず、そこには物凄い数の人がいた。私がいたのはマレーシア南部の港町マラッカで、大勢の人は皆、観光客だ。アジア人が多いが、欧米人も劣らずに多かった。彼らは肌の色も話す言葉も背の高さも服の着こなしもみなまちまちであったが、彼らは驚くほどに通っていた。セルフィーを撮り、インスタグラムに名物アイスクリームの写真をアップロードし、お土産屋さんを物色していた。日が暮れると夜店が立ち並び、観光客は更に増えるようだった。

  マラッカは交通の要衝、マラッカ海峡の港町として栄え、中華文化を吸収した独特のプラナカン文化をもつ。オランダ統治時代の建造物を残すセントポールの丘から川を挟んだところにある、ヨンカー通りを中心とした旧市街地はその特色を色濃く残した街並みを楽しむことができる。狭い間口に対して奥行きが深く、途中に光庭を取るショップハウスはまるで京都の町屋のようである。旧市街に残るこれらの家屋は、現在では悉く廉価なゲストハウスに転用されている。二階部分が張り出してファイブフット・ウェイと呼ばれる屋根付き歩道をつくっている通りもある。そのような建物はもう少し高い価格帯のホテルか、アートギャラリーとなっており、いずれも観光客を相手に商売をしている。

  人混みを避けるように散策していた私は、すぐ裏の通りに廃墟となった家を見つけてまた驚いてしまった。屋根も二階の床も落ちてしまっていたことから察するに、つい最近放棄された物件でもなさそうである。伝統的建築ではないその家が立派な構えの名残りを残している。これだけ観光に栄えている街でなぜ、と私は疑問に思った。1つ通りを外れた場所には誰も興味を示さないのだろうか。そしてこの観光の繁栄は街に還元されてはいないのだろうか。

  郊外にアメリカ資本の巨大なショッピングモールがあった。市民の車が幹線道路から続々と吸い込まれていく。ヨンカー通りは鶏場街と書く。しかしもちろん鶏屋はなく、日用品を売る店もない。マラッカの歴史の中心部は、マラッカの人々の生活の中にはないのだろうか。

  私はマラッカを巡りながら、釈然としない気分であった。かたやマラッカの人々はその街から切り離されて生活せざるを得ず、かたや観光客はマラッカの人々やその生活には関係のない場所にしか興味を持っていないのだろうか。

文章の練習2/28

だめだ、と思う瞬間と一言に行っても、いくつか種類がある。取り返しのつかないものを取り返さねばならない時の、だめだ、例えばバイトの家庭教師に一時間遅れてる、とか、羽田と間違えて成田に来た、とか。他には、大事なことのはずなのに既に興味がなくなっていて、やっぱりな、となる時の、だめだ。成績発表の日は大抵これ。ときすでに遅しでどうしようもなくなっているから、特に何も変わらないとき。将来すごく後悔するのかな、とか冷静に考えるしかないときの、だめだ。最近これが多い。

雑記/文章の練習 2/27

インフォーマリティは極めて現代的な事象だ。もちろん不法居住やスラム街は昔からいくらでもあっただろう。しかし私達が都市のインフォーマリティとしてこれらに注目するとき、私達が相手にしているのは確かに現代、特に後期近代としての現代に、固有の問題である。何が違うのか?端的に言うと、私達が格闘するのは唯のインフォーマリティではない。正確にはインフォーマリティの勝利、フォーマルな世界の失敗であり、敗北である。もちろん政治権力はいつだって目の前のスラムをクリアランスすることができる。しかしそれがモグラ叩きでしかないことは多く指摘されている通りで、そして彼らの経験は、インフォーマリティを黙認した改善、というより実効的な戦略に政策の重点を移動させている。日本のような先進国も例外ではない。都市があらゆる要素の相互的作用の総体として捉えられるなら、昨年のAirBnbを巡る騒擾や、いわゆる就活ルールの形骸化と撤廃に至る遍歴は、インフォーマリティの勝利とまで言い切れなくとも、そのままならなさを思い知らされる機械であったのではないか。

多面的に見よう。都市は多面的であるのだから。インフォーマリティとは、ある意味我々が求めて来たものではないのか?技術の、建築の、都市の民主化、民衆の手に都市を取り戻す、と戦われてきた歴史を辿るのはそう難しくないであろう。今目の前にあるのは、その果実ではないのか?

液状化、変態、グローバル化、様々な言葉で語られていることは、確かに起きているだけではない。

なぜ山谷に関わるか

東京には有名な地名は数多あるが、その中でもこれほどその文字の並びが見つけにくいものはないのではないか。山谷のことだ。少しづつ「ふつうの」街に落ち着きつつあるこの地域は、今では南千住や北浅草といった名前をつけられることが多いようだ。私は東京に未だ残るドヤ街、この山谷をたまに訪れている。あるボランティア団体の末席に加わっているのだ。もとはといえば卒業論文と卒業制作のテーマとして扱ったのがきっかけで、提出したからはいさようならというのは不義理極まりないだろうということで、足手まといになりながらも細々と活動を続けさせてもらっている。

しかし私が山谷に行くのは、決して慈善の心や、社会的使命感からではない。私にはある目論みがある。私はいずれ、山谷をふるさとにしようと企んでいる。

詳しく説明する前に、私のちょっとした体験談に付き合ってほしい。ここ1年間で私は3回引越しをした。そのうちの一ヶ月は、帰るべき住所を持たない生活も経験した。部屋を引き払うたびに私の荷物は減った。部屋も狭くなっていった。今は三畳足らずの部屋にスーツケース一つで暮らしている。別に苦労を語りたいわけではない。なぜなら私はこの生活が気に入っているから。去年の一月の終わりに後にした広くて寒くていつも散らかっていた生活に比べれば、両手を伸ばせば壁にぶつかる程度しかない空間を最大限自分にフィットさせている今はとても快適だ。そして何より、いつでもどこへでも旅立てるという事実は、不甲斐ない自分にも自信を与えてくれる。「ティファニーで朝食を」のヒロインが郵便受けに「住所:旅行中」と書いた、あの心境だ。しかしこの生活にも欠点がある。湯船につかれないのだ。湯船が恋しくなると、実家に帰る。実家?そう、いつでも実家に逃げ込める身でおこがましくも流浪の身の上を語ったいたのだ。些か情けなくはあるまいか。

本題に戻るのだが、私がこの一年で行き着いた一つの結論は、一言でいうならこうだ。

 流浪するにも、家が要る

これが、私が山谷に関わる理由だ。日本を、世界を、一巡りしたあと帰るべき場所を確保しておかねばなるまい、と思い立ったのだ。山谷は元々そういう場所だ。独り身の流れ者たちがふるさとと思える場所だ。それは一朝一夕にできるものではない。土地を買えば、家を立てればできるものでもない。いくら住んでもふるさとにならない場所もある。山谷は、「旅行中」の人たちに優しかった。私はこの優しさの共同体の扉を叩こうとおもった。まだ若い私は、今彼らが必要とする助けになれるかもしれない。自分自身が旅に疲れた時に助けてもらうために。