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文章の下書き4/10

  角を曲がって、ヨンカー通りへ出て私は驚いた。平日の昼間にも関わらず、そこには物凄い数の人がいた。私がいたのはマレーシア南部の港町マラッカで、大勢の人は皆、観光客だ。アジア人が多いが、欧米人も劣らずに多かった。彼らは肌の色も話す言葉も背の高さも服の着こなしもみなまちまちであったが、彼らは驚くほどに通っていた。セルフィーを撮り、インスタグラムに名物アイスクリームの写真をアップロードし、お土産屋さんを物色していた。日が暮れると夜店が立ち並び、観光客は更に増えるようだった。

  マラッカは交通の要衝、マラッカ海峡の港町として栄え、中華文化を吸収した独特のプラナカン文化をもつ。オランダ統治時代の建造物を残すセントポールの丘から川を挟んだところにある、ヨンカー通りを中心とした旧市街地はその特色を色濃く残した街並みを楽しむことができる。狭い間口に対して奥行きが深く、途中に光庭を取るショップハウスはまるで京都の町屋のようである。旧市街に残るこれらの家屋は、現在では悉く廉価なゲストハウスに転用されている。二階部分が張り出してファイブフット・ウェイと呼ばれる屋根付き歩道をつくっている通りもある。そのような建物はもう少し高い価格帯のホテルか、アートギャラリーとなっており、いずれも観光客を相手に商売をしている。

  人混みを避けるように散策していた私は、すぐ裏の通りに廃墟となった家を見つけてまた驚いてしまった。屋根も二階の床も落ちてしまっていたことから察するに、つい最近放棄された物件でもなさそうである。伝統的建築ではないその家が立派な構えの名残りを残している。これだけ観光に栄えている街でなぜ、と私は疑問に思った。1つ通りを外れた場所には誰も興味を示さないのだろうか。そしてこの観光の繁栄は街に還元されてはいないのだろうか。

  郊外にアメリカ資本の巨大なショッピングモールがあった。市民の車が幹線道路から続々と吸い込まれていく。ヨンカー通りは鶏場街と書く。しかしもちろん鶏屋はなく、日用品を売る店もない。マラッカの歴史の中心部は、マラッカの人々の生活の中にはないのだろうか。

  私はマラッカを巡りながら、釈然としない気分であった。かたやマラッカの人々はその街から切り離されて生活せざるを得ず、かたや観光客はマラッカの人々やその生活には関係のない場所にしか興味を持っていないのだろうか。