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雑記/文章の練習 2/27

インフォーマリティは極めて現代的な事象だ。もちろん不法居住やスラム街は昔からいくらでもあっただろう。しかし私達が都市のインフォーマリティとしてこれらに注目するとき、私達が相手にしているのは確かに現代、特に後期近代としての現代に、固有の問題である。何が違うのか?端的に言うと、私達が格闘するのは唯のインフォーマリティではない。正確にはインフォーマリティの勝利、フォーマルな世界の失敗であり、敗北である。もちろん政治権力はいつだって目の前のスラムをクリアランスすることができる。しかしそれがモグラ叩きでしかないことは多く指摘されている通りで、そして彼らの経験は、インフォーマリティを黙認した改善、というより実効的な戦略に政策の重点を移動させている。日本のような先進国も例外ではない。都市があらゆる要素の相互的作用の総体として捉えられるなら、昨年のAirBnbを巡る騒擾や、いわゆる就活ルールの形骸化と撤廃に至る遍歴は、インフォーマリティの勝利とまで言い切れなくとも、そのままならなさを思い知らされる機械であったのではないか。

多面的に見よう。都市は多面的であるのだから。インフォーマリティとは、ある意味我々が求めて来たものではないのか?技術の、建築の、都市の民主化、民衆の手に都市を取り戻す、と戦われてきた歴史を辿るのはそう難しくないであろう。今目の前にあるのは、その果実ではないのか?

液状化、変態、グローバル化、様々な言葉で語られていることは、確かに起きているだけではない。