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なぜ山谷に関わるか

東京には有名な地名は数多あるが、その中でもこれほどその文字の並びが見つけにくいものはないのではないか。山谷のことだ。少しづつ「ふつうの」街に落ち着きつつあるこの地域は、今では南千住や北浅草といった名前をつけられることが多いようだ。私は東京に未だ残るドヤ街、この山谷をたまに訪れている。あるボランティア団体の末席に加わっているのだ。もとはといえば卒業論文と卒業制作のテーマとして扱ったのがきっかけで、提出したからはいさようならというのは不義理極まりないだろうということで、足手まといになりながらも細々と活動を続けさせてもらっている。

しかし私が山谷に行くのは、決して慈善の心や、社会的使命感からではない。私にはある目論みがある。私はいずれ、山谷をふるさとにしようと企んでいる。

詳しく説明する前に、私のちょっとした体験談に付き合ってほしい。ここ1年間で私は3回引越しをした。そのうちの一ヶ月は、帰るべき住所を持たない生活も経験した。部屋を引き払うたびに私の荷物は減った。部屋も狭くなっていった。今は三畳足らずの部屋にスーツケース一つで暮らしている。別に苦労を語りたいわけではない。なぜなら私はこの生活が気に入っているから。去年の一月の終わりに後にした広くて寒くていつも散らかっていた生活に比べれば、両手を伸ばせば壁にぶつかる程度しかない空間を最大限自分にフィットさせている今はとても快適だ。そして何より、いつでもどこへでも旅立てるという事実は、不甲斐ない自分にも自信を与えてくれる。「ティファニーで朝食を」のヒロインが郵便受けに「住所:旅行中」と書いた、あの心境だ。しかしこの生活にも欠点がある。湯船につかれないのだ。湯船が恋しくなると、実家に帰る。実家?そう、いつでも実家に逃げ込める身でおこがましくも流浪の身の上を語ったいたのだ。些か情けなくはあるまいか。

本題に戻るのだが、私がこの一年で行き着いた一つの結論は、一言でいうならこうだ。

 流浪するにも、家が要る

これが、私が山谷に関わる理由だ。日本を、世界を、一巡りしたあと帰るべき場所を確保しておかねばなるまい、と思い立ったのだ。山谷は元々そういう場所だ。独り身の流れ者たちがふるさとと思える場所だ。それは一朝一夕にできるものではない。土地を買えば、家を立てればできるものでもない。いくら住んでもふるさとにならない場所もある。山谷は、「旅行中」の人たちに優しかった。私はこの優しさの共同体の扉を叩こうとおもった。まだ若い私は、今彼らが必要とする助けになれるかもしれない。自分自身が旅に疲れた時に助けてもらうために。