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日記1

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 ひょんなことから縫い物をしていた。ここ5年はボタンつけもしていなかったから、縫い目は不揃いで歪んでいたが、A部とB部がくっつけば良いという観点からは及第点だろう。

少し前にもひょんなことから編み物をしたが、この時も何かしらの平面が出来上がれば良かったから、自己評価はやはり及第点。ハードル下げ過ぎ、自分に甘すぎなのかも。

針仕事のような単純作業は、焦燥や退屈に邪魔されることなく思索にふける時間をくれる。

 大抵の思考は自らを省み一通り落ち込んだ後、半ばやけっぱちな楽観主義に落ち着く。そういう性格らしい。はじめに場当たり的な処世が自己批判され、続いていかに自分が時間と可能性と人の親切を無為にしてきたかに思い至り鬱々とする。しかし弁解もある。誰に後ろ指さされることなく労働しているではないか。

 いったいSNS が良くない。人の成功が見えるだけでない。ひとの努力も見える。何かを継続し、その成果が蓄積されていくのがわかる。よくSNSは「バズる」社会をつくったと言われるが、SNSがあらゆる活動の蓄積を可視化したことも注目されるべきだ。それに引きかえ自分が30年で溜め込んだものの少なさたるや。ルサンチマンでも積み上がれば何かしらに昇華するだろうにその類いすら無いんじゃないか。

 そんなことを考えるうちにA部はB部にしっかり固定され、道具を小学校で購入させられたキットに片付けるうちに、だからなんやねん、と言う気持ちになってきて思索の時間は終りを告げる。少なくとも、(私によくある結論の付け方だ)、空虚な注目を求めてあたりかまわず喚き散らす人間にならない、そのプライドはある、それで暫くは満足しようと思った。

 

 思い出した本、髙山羽根子「首里の馬」、少し前に芥川賞を取っていた。