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8月最後の週

それにつけても仕事がない。4月に部署を異動になり、残業時間が1/3になった。当然のことだが残業代は1/3になり、生活が少し苦しくなった。異動から3か月くらい経った頃、ふとそのことに気づき、それまでコンビニだった昼食を弁当に変えた。やってみると意外と手間じゃない。1日5百円1か月で1万円と呟きながら毎朝つくっている。

それにつけても仕事がない。今週は特に仕事がない。月曜の午前に大きな契約が済んでしまうとあとは何もやることが無くなり、水曜日には遂に細かいタスクまで残らず底をついてしまって木曜日と金曜日はキャビネットを整理したりエクセルの関数をググったりして過ごした。課長も水曜にはうまく業務の理由を見つけて東京に帰ってしまった。一方で妻は今週は立て込んでいるようで、毎日残業だし土日も寝る前も論文を読んでいて、だいぶ疲弊している。かくも世の中は不合理だ。

木曜日、前の部署にいた再雇用のおじいちゃんが定年になった。机の両側と足元にに1メートルずつ書類を積み上げ、黒くなった白いマグでコーヒーを飲んでいた人。威張りも贅沢も出世もせず、ちょっとナメられてる節があっても怒りもせず、高卒から47年間淡々と働き続けたらしい。何だか宮沢賢治の童話に出てきそうな人だった。近年急に若返った課員たちにいじられてか愛されてか、似顔絵がデザインされたシールが作られた。20色展開で大量に印刷されて。僕も何枚かもらって社用携帯に貼っている。彼はグループ会社に再々雇用されて、一日も休まず金曜日から出社するそうだ。

9月になると急に夏の終わりを意識してしまう。来週は雨が続いてそのあとは大分涼しくなるらしいと妻が言ってたからか。土曜日、ベランダで育てていた枝豆を収穫した。これ以上成長する見込みがなくなったからで、豆自体はよくて足の小指の爪くらいのサイズしかない。それでも茹でて食べると枝豆の味がした。隣で育てている紫蘇も茶色い葉が目立ちだしていて、もうそろそろ終わりかもしれない。

 

 

スキニー・ボーイ・オン・ザ・ミレニアム

私は細い子供だった。小学生くらいの子供が互いに細いかどうかを意識することは殆どない。子供にとっては太っているか太っていないか、背が高いかちっさいか、計4つの区別しかないものだ。だから背が普通で太っていなければ、すなわち普通の子供のはずである。その中で殊更やせていると言われるほど私は細かった。細いことで社会的に損をすることはあまりない。なぜなら子供社会において重要なのは「太っているか否か」だからだ。太っていなければいじめられる可能性は低い。ちびでなければ更に低い。細い子供はそれなりに足が速かったりもするから、私は平穏無事に陽気な少年時代を過ごし、無事にやせた成人男性になった。

細い人が被る不利益は周りの人にはほどんど気づかれない。それはつまり他人に迷惑をかけずに対処できる問題だということで、つまり表面上は何不自由なく暮らしていけるということだ。それは社会生活上、好ましいことである。それでもそれは確実に生活に影響を与えている。私は、30倍に希釈した身体障害だ、と思っている。「身体障害」とは強い言葉だ。もちろん、憐れみや特別扱いを求めているわけでも不平を募らせているわけでもない。そうではなく、人と人との差異についての想像力の出発点が、私の中でどこにあったかを書こうとしている。

細いと筋肉が付きづらい。背ばかりひょろひょろと伸びて、身体組織はまったく追いつかないまま成長を止めてしまった。結果、私は極度に猫背で、不自然に長い首はストレートネック気味だ。高校生の頃、頭痛が止まらずに医者にかかると、首の湿布を処方された。最近では肩と首が凝り始めると三半規管がやられて、通勤電車に酔うようになっている。脂肪がほとんどないので、冷房が普通の人の3倍くらい効いてしまう。夏は大抵、お腹を下すことになる。熱中症になった試しはないが、働き始めてから毎年、きまって夏風邪をひくようになった。

自転車が好きで、よく乗っていた。ロードバイクを買うような本格的な趣味ではないが、レンタサイクルを借りてしまなみ海道を渡ったりしていた。自転車で海沿いの田舎道を走っていると南から風が吹いて身体が帆のように空気を受け、いくら漕いでも一向に進めないときがある。筋力の少なくても身体が軽い私は、アップダウンはあまり苦にならない。しかし表面積から受ける空気抵抗は、大柄な人のそれとさして変わらない。だからさっきまでの上り坂は意外なほど順調に登りきれたのに、わずかなそよ風に息切れしてしまうのだ。自転車競技や、あるいは駅伝などになじみがない人は、人間の身体が受ける空気抵抗の大きさは想像しがたいかもしれないが、私はなにより向かい風が苦手だ。心臓破りの坂をものともしない人も、涼しげなそよ風に大汗をかいて苦労実はいたりもするのだ。

「苦手だったもの」は今でも苦手。はた目にはちょっとした物事に見えるものに実は苦戦している、という人は多い気がする。

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今週のお題「苦手だったもの」